当館見学の方に、
当館を中心とする東区周辺では、
瀬戸市、東濃地方で焼かれた白生地に上絵付けを施し、
完成させ、海外へ輸出するという
輸出陶磁器産業の中心であったことをお話させていただきますと、
「絵付けした後、もう一度焼くの?」、「また、瀬戸や東濃に運んで焼くの?」
そのような質問をいただくことがあります。
現在、この周辺は完全な住宅街となっています。
まさか!この住宅街に絵付焼成窯があったとは想像もできないことでしょう。
名古屋の東区、北区には、何百もの絵付窯があったのです。
トンネル窯もあり、
その窯では、世界の超有名ブランドの製品が
焼かれていたのですから、驚き!ですよね。
そこで、その証拠をご紹介します!
このプレートは、当館の展示品のひとつ「絵付焼成用窯登録票」です。
名古屋陶磁器工業組合
(昭和32年設立、名古屋陶磁器調整組合より改称、設立時の組合員数116)
によって、組合員の絵付窯は管理されていました。
その登録台帳は1番(昭和34年登録)からすべて残されています。
このプレートの登録番号435は、井元産業鰍フ窯だったことが確認できます。
登録台帳の最終登録は、846番(昭和45年登録)になっています。

この東区、北区周辺に、何百もの絵付窯が存在していた証拠です。
すべてはご紹介できませんが...

名古屋市北区上飯田南町(左)、名古屋市東区坂上町(右)
名古屋市東区徳川町

名古屋市東区長壁町
当館の周辺に、絵付窯がたくさん存在していた当時の様子を
想像しながら歩く、まち歩きも楽しいものではないでしょうか。
ほんのちょっと前?まで、茶わんの音がする”まち”だったなんて...
posted by pottery at 22:43|
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